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法華堂跡・北条義時墳墓(鎌倉市)

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Photos: 法華堂跡・北条義時墳墓(鎌倉市)

Photos: 大江寛元・毛利季光・島津忠久墓(鎌倉市) Photos: 法華堂跡・北条義時墳墓(鎌倉市)

mixi記事コピペ――
法華堂跡・北条義時墳墓/大江寛元・毛利季光・島津忠久墓(鎌倉市)
2017年03月28日 23:24

17.03.28.
●法華堂跡――
(→「岡戸事務所」様コピペm(_ _)m のちちょっち編集)
「法華堂跡」は、大倉幕府跡の裏山にある源頼朝墓を中心とする史跡。
1189年(文治5年)、源頼朝が聖観音像を本尊として建立した持仏堂のことで、1191年(建久2年)には、文覚に命じて京都で描かせた阿弥陀三尊像が掛けられた。
平治の乱で源頼朝が帯びていたという源氏重代の太刀「髭切」(ひげきり)も持仏堂に納められていたという(現在は京都の北野天満宮の所蔵(一条戻橋の伝説))。
持仏堂は頼朝の死後「法華堂」と呼ばれるようになり、現在、源頼朝墓が建てられている場所が法華堂の跡だといわれている。
『吾妻鏡』によれば、本尊の聖観音像は頼朝が京都の清水寺から下されたもので、挙兵の際髷の中に納めていたものだという。
源頼朝墓の東の山腹には、頼朝の片腕として貢献した大江広元、その子毛利季光、頼朝の子ともいわれる島津忠久の墓があり、その下の平場は2005年(平成17年)に行われた発掘調査の結果、北条義時の法華堂跡ではないかと考えられている。
宝治合戦で滅亡した三浦泰村一族のものといわれる「やぐら」も残されている。(←)

●北条義時墳墓――
(→「岡戸事務所」様コピペm(_ _)m のちちょっち編集)
義時の法華堂は遺言によって建立されたとされ、『吾妻鏡』には「故右大将家法華堂の東の山上をもって墳墓となす」と記載されている。

北条義時は、源頼朝亡き後の御家人による政権争奪に深く関わり、畠山重忠の乱後は、父時政を鎌倉から追放し二代執権の座についた(畠山重忠の乱 畠山重忠殺害と北条氏の世代交替)。
将軍源実朝の暗殺では、裏で暗殺者である公暁を操っていたとも考えられている(源実朝の暗殺(源氏の滅亡))。
1221年(承久3年)には、後鳥羽上皇が起こした承久の乱を鎮圧した。
北条執権体制を確立した義時は、1224年(元文元年)6月13日、62歳で急死したが、暗殺されたのではないかという説もある。(←)

●大江寛元・毛利季光・島津忠久墓
旧アルバム「鎌倉七福神/源頼朝・大江・毛利・島津」→
http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000000913737&owner_id=32815602

●三浦泰村一族墓所(やぐら)
wiki→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%B3%B0%E6%9D%91
武家家伝→ http://www2.harimaya.com/sengoku/html/miura_k.html


鎌倉巡回マップ
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1jxb6mB3DQV4YD4D4murEy9SF9Rk



「旧」
鎌倉七福神/源頼朝・大江・毛利・島津
2010年10月21日 22:21

●09.05.28.
「鎌倉に行ったことがない」(Σ( ̄◇ ̄*)!!)
という友人と共に、出陣。
目的地は、広く回れる七福神...etc 。
我が御先祖の奉公先、前北条様方もちょこっと登場しますが。
……ごめんなさい<(_ _)>

UPにあたりビックリしました…。なんとっ――写真がない…!!爆笑
明らかに“中抜け”…土地の景観写真、大仏様、江ノ電、ほか……おかしいなあ┐(-_-)┌ 撮ってあるのも曲がっちゃって…。雨と壊れてる右手、ってのもあるのだけど(ノ_・。)


●七福神↓
(※11.11.28~29. “七福神”と七福神個々、加筆修正しました)


●11.02.15.修正――
部分ごとでは読みづらいのでこっちに上げました。フォトコメント欄にムリヤリ簡略化して切りつめて書き込んだもので…。まあこっちに上げても書き直しはせず…。
・源頼朝死亡説――
各史料、相模川橋供養の帰路に病を患った事までは一致しているが、その原因は定まっていない。
吾妻鏡は「落馬」、猪隈関白記は「飲水の病」、承久記は「水神に領せられ」、保暦間記は
「源義経や安徳天皇らの亡霊を見て気を失い病に倒れた」と記している。現代では確定するのが不可能でしょうね。命日だけは、
それ以外の諸書が一致しているから間違いないようだけど。まあ、某は諸説多い中で、「暗殺」説を推します。

前北条が“平家本家”ということを考えると一番濃厚かと。思惑ありますが書ききれないのでm(_ _)m

頼朝公墓前からさらに奥へ進むと、大江廣元公の墓。頼朝側近で、政所(公文所)、奉行、代官など要職歴任。
元朝臣。旧姓中原。藤原の血筋か?公家出身。官臣ではかなり端の家系だったよう。
玄武。石碑には何が刻まれているか、さっぱり不明。次の写真は毛利季光の墓(すえみつ、廣元四男。毛利始祖)。
相模国毛利荘(もりのしょう。中世までは「もり」と読まれた)を領してから毛利姓を名乗る。承久の乱後、安芸国吉田荘を領し、のちに至る。
島津忠久の墓。島津始祖。旧姓惟宗(これむね)。日向中南部、大隅、薩摩は当時島津荘と呼ばれる日本最大の荘園で、そこを領して改姓。


●「荘園」記事はアメブロへ移しました→ http://ameblo.jp/emeth-spriggan/entry-11067097779.html


●11.06.20――
弁天様と御霊神社、撮り直してきました<(_ _)>

●11.12.01――
浄智寺、長谷寺、宝戒寺、別途アルバム作成。

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