ヘルプ

根津神社(文京区根津)

  • 147

写真: 根津神社(文京区根津)

写真: 根津神社(文京区根津)

――mixi記事コピペ――
根津神社/徳川家宣
2010年12月04日 16:21

上野山7。10.11.11.
●根津神社――
文京区根津にある神社。「根津権現」とも呼ばれている。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一つに数えられている。境内はツツジの名所として知られ、近隣には森鴎外や夏目漱石といった日本を代表する文豪が住居を構えていたこともあり、これら文豪に因んだ旧跡も残っている。
社殿は宝永3(1706)年の創建で、宝永2(1705)年江戸幕府五代将軍徳川綱吉が養嗣子六代将軍家宣のために屋敷地を献納して天下普請したもので、権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている。社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。
近代文学の諸作品にも描かれてさらに知られるようになった。
文明年間には太田道灌により社殿が創られたが、江戸時代に現在地に移転。現存する社殿も江戸時代の権現造である。 「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では使う人もいる。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。 東京大学の移転にともなって門前の根津遊郭は廃されて江東区の州崎遊郭へと移転させられた。

●徳川家宣──
寛文2年4月25日(1662年6月11日)、甲府宰相徳川綱重の長男として江戸根津邸に生まれる。父が正室を娶る直前の19歳の時に、身分の低い26歳の女中に生ませた子であったため、世間を憚って家臣の新見正信に預けられ、養子として新見左近を名乗る。生母は寛永4(1664)年に死去している。
正室は近衛基熙の娘・天英院熙子。子に徳川家継ほか。3代将軍家光の孫に当たる。幼名は虎松。初名は綱豊(つなとよ)。甲府時代は松平を名乗っている(宗家、御三家の当主、世嗣以外は徳川を名乗れない)。石高は25万石。
綱吉の嫡子・徳松が早世すると、水戸藩主・徳川光圀から強く次期将軍に推挙された。
将軍の養子として迎えられて江戸城西の丸に入った時、下心を持つ諸大名や旗本が賄賂に近い祝い品を持ってきた。家宣はこれらを一切受け取らず、将軍就任後、人事を一新して不正を厳しく取り締まった。
綱吉は「生類憐みの令」を厳守することを遺言したが、家宣は葬儀2日前に綱吉の柩の前で、側用人の柳沢吉保に対し「生類憐みの禁令に触れ、罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のために、あえて遺命に背くこととする」と述べた。この時、罪を許された者は八千数百人にも上ったという。
人気のなかった「生類憐みの令」を廃止するなど、幕政改革に熱心だったことで、歴代将軍の中でも名君と評されており、在位3年で死去したことがたいへん惜しまれる。『徳川実紀』では、「仁慈の心あり」と評されている。
ちなみに。綱吉との関係は良好ではなかったらしい。

お気に入り (0)

まだお気に入りに追加している人はいません。

コメント (0)

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。