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朝比奈城(藤枝市)南城

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写真: 朝比奈城(藤枝市)南城

写真: 朝比奈城(藤枝市)南城 写真: 朝比奈城(藤枝市)左手は堀切

朝比奈城(藤枝市)
17.05.24.
築城年、不詳
築城主、朝比奈氏
城主、朝比奈氏
標高169m/比高150m(標高180m/比高100m)
廃城年、天正10(1583)年?
遺構、堀切・郭

(→シズオカ 城と戦国浪漫)岡部町殿の権現山に存在する城跡は、室町時代初期に見られる土豪的な城郭である。朝比奈氏は藤枝氏の末葉で、平安末期国俊が朝比奈郷に住み、姓も朝比奈と改めて、以後鎌倉幕府の御家人となり、弘安7年(1284)7月朝比奈郷の地頭職に任ぜられ、代々朝比奈郷を領有するに至った。戦国時代は、今川氏歴代の重臣であり、今川氏滅亡後は武田信玄に従って、用宗城を与えられ駿河経営の先陣を承っていた。
天正10年(1582)武田氏が滅亡したが、この頃朝比奈城も廃城になったと思われる。
東西の両尾根上に城郭遺構を残し、とくに西側の尾根(字松山)上にある城跡が古い。海抜170mの山頂を軸として、南東方向へ走る主尾根の先端部に所在する。曲輪の広さは、長さ80m、幅は北より25m〜55mと広さを増している。北端に1mの土盛と幅3mの堀切りを施す単郭で、この空堀より北は山頂まで人手を加えた跡がない。
東峰は西峰よりやや低く、海抜170mの山頂下段より、東南方向に張り出す尾根上にある。規模は狭小で八段の小曲輪を階段状に設け、その中央に幅2mの堀切り状のものを施している。北方は尾根上に2カ所堀切を設け、主要部背後にも堀切を施している。
当城は、西と北を朝比奈川に、南を野田沢川に囲まれ、突出した山上に設けられた城で、ここから朝比奈川下流の平坦部の多い地域を見渡すことができる。朝比奈郷は、周囲を高い山々に囲まれた山間地であるが、当城のある殿は、藤枝市上大沢から300mの峠を越え新舟に出て殿・野田沢から250mの峠を経て静岡に出る間道、岡部町村良から桂島谷川を経て290mの勝負平を越え、静岡へ抜ける間道の中間に位置を占め、また西は今川直轄領葉梨庄に接し、南は岡部郷を支配する岡部氏、東は今川家の本拠の駿府に接している。(←)

(→wiki朝比奈氏)藤原北家の堤中納言兼輔の子孫たる堤公国の子・五郎国俊が、駿河国志太郡朝比奈郷(現在の静岡県藤枝市岡部町)を本貫とし、朝比奈氏を興すとされる(朝比奈家譜)なお彼の弟の公俊は岡部氏の祖になっている。
別の伝承では、朝比奈氏は、三浦一族の和田義盛の息子・朝比奈義秀から興ったという。
系譜が錯綜しているため、正確な系譜は不詳。中世・近世に登場する朝比奈氏の位置づけも系統がはっきりせず、一族の関係も不明である。(←)
「武家家伝」様→ http://www2.harimaya.com/sengoku/html/asahi_k.html

参考──
「武蔵の五遁」様→ http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-993.html
「城郭放浪記」様(周辺城郭地図含む)→ http://www.hb.pei.jp/shiro/suruga/asahina-jyo/

巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1WiPgV9Fgfpjv5vy3v0kilOraqXU&usp=sharing

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