ヘルプ

犀ヶ崖古戦場(浜松市)

  • 439

写真: 犀ヶ崖古戦場(浜松市)

写真: 欠下城(浜松市)南東より 写真: 犀ヶ崖古戦場(浜松市)

mixi記事コピペ――
武田vs徳川戦跡 in浜松市1

2016年06月09日 11:52

16.05.19.
●犀ヶ崖古戦場
説明板参照。
参考「天下布武」様m(_ _)m→ http://tenkafubu.fc2web.com/mikata/htm/mikata02.htm
(匂坂城・二俣城・欠下城、
祝田坂・根洗松・三方ヶ原古戦場、
夏目吉信の碑・本多忠真の碑・犀ヶ崖古戦場。)


●本多肥後守忠真顕彰碑
犀が崖資料館の南側に本多肥後守忠真の忠義を称え、第17代本多子爵によって1891(明治24)年に建立された戦功碑。
石碑には本多家が代々松平家・徳川家に仕えたことや本多忠真が数々の戦で功績を残したことが記されている。また、碑の題字「表忠彰義之碑」は徳川家16代家達公によってかかれている。
本多肥後守忠真は本多平八郎忠勝の叔父にあたり、三方ケ原の戦いで討死した武将のひとり。
武田軍に大敗した徳川軍が撤退する際に殿(しんがり)を買って出た忠真は、わが子菊丸に「主君家康を護るように」といいおいて、道の左右に旗指物を突き刺し、武田軍の中に刀一本で斬り込んでいき、39歳をもって討死した。
父の命によって家康を援護し、浜松城に無事退却した菊丸は、父の最後や友が次々と死んでゆくのを目の当たりにし、この世の無常を感じたため、父の遺骸を三河に葬った後、出家の道を進む。(浜松情報BOOK)


●夏目次郎左衛門吉信旌忠碑
夏目次郎左衛門吉信は三方ケ原の戦いで討死した武将のひとり。
敗走中の家康の身代わりとして討死し、現在、犀ヶ崖古戦場の一角に石碑が建てられている。
夏目次郎左衛門吉信は1563(永禄6)年の三河一向一揆のときに捕えられ、処刑されるところを家康の寛大な処置によって助けられた。これを恩に感じていた吉信は、三方ケ原の戦いのとき、主君家康の身代わりとして武田軍の前に立ちふさがり、討死した。(浜松情報BOOK)


巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1WiPgV9Fgfpjv5vy3v0kilOraqXU&usp=sharing

アルバム: 公開

お気に入り (0)

まだお気に入りに追加している人はいません。

コメント (0)

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。